「来週からフィリピンで。」
海外出張は急に決まる。
先週、私は初のフィリピンへ。
日本で気温10度の寒さを叩き出しているのにもかかわらず着いたら31度って。
地球の脅威にドン引きしながら熱風立ち込める常夏へダイブ。
よく考えてみたら、10代のころからいろんなところにちょいちょい行っている私。
もうそろそろ頭が老化現象甚だしいのでここに行った国をメモしておくことにした。
1、中国(桂林・香港)1998年(13歳)
↑やっべ、年齢ばれる。
イギリスから独立してホングコングから中華人民共和国香港特別行政区という漢字まみれの名前になった香港。
100万ドルの夜景の美しさは今も目に焼き付いているが、どっちかといえば初めて食べた香港の北京ダックの美味しさの方が印象に残っている。
「香港の北京ダック」って・・・
「岩手産ニューヨークチーズ」ぐらい辻褄あってない。
そして、
ドジな姉がゴマ団子食べてお腹壊しました。
医者は呼ばず、「Japanese Gaman」で乗り切り大成功。
やっぱり日本のテクノロジーはすごい。
⭐︎中国に行くときは、正露丸は必ず持って行きましょう。
⭐︎また、桂林で川下りをしましたが謎の船に乗り、謎の商人がやたら高い商品を売りつけてきました。
よくみるとMAXのレイナにそっくりだったので、桂林に行く際はTORA TORA TORAの振り付けをマスターしておくとうまくその場を乗り切ることができるでしょう。
2、イギリス(ロンドン)1999年(14歳)
憧れのビックベンへ!
スタイリッシュな街はもう歩くだけでテンションしか上がらなかった。
インド人顔の姉がイギリス人に
“Are you Indian?” (あなたはインド人ですか。)
と、インネンつけられていました。
ここで気づいたかと思いますが、私にはドジな姉(次女)・インド顔の姉(長女)がいます。
3、イタリア(ローマ)1999年(14歳)
ツアーガイドはスティーブンスピルバーグに激似でした。
しかも巧みな日本語を話し、ギャップのすごさにもう腹を抱えて笑いました。
ローマにあるスペイン広場(矛盾)では、
イタリア人のオカマにスリーサイズを聞かれました。
「アナタ、何カップ?ネェ?」
グイグイくるカマタリア人をお母さんがあしらってくれました。
レストランに入って食事をすると、
頼んだものと全然違う物ばかりきました。
カルボナーラに至っては2皿きました。
とても美味しかったし、安かった。どうせならぼったくれよ。
⭐︎ドジな姉は比較的こけし顔のせいかめちゃくちゃモテていました。イタリアに行く際は顔をこけしにアレンジしてからいきましょう。
4、フランス(パリ)1999年(14歳)
ベルサイユ宮殿に侵入しました(ちゃんと入場券を買って)。
トイレでもお金を払わされました。
バスで小さい子供に
” Fuck you!!!!”
といわれたので
“Fuck you too!!!!!!”
と丁寧に返しておきました。
パリジェンヌって、何しても許されるんですね。
ベルサイユ宮殿に飾ってある絵には不思議なものがたくさんありました。
当時の絵というのは写真のようなもので、王妃などの日常を絵として残していた。
でも、その中には誰の子どもかいまだにわからない子も描かれており、
当時は秘密のドアなどを使って宮殿内を行き来できたことから家族内でわんさか近親相姦的なことが起こっていたんだろうか。 生まれたことがバレてはいけない子どもも描かれ、今もなお謎に包まれているんだとか。
5、アメリカ(ロサンゼルス)2000年(15歳)
初めてのアメリカは、母と行きました。
映画好きな私たちはチャイニーズシアターでテンションうなぎのぼり。
銃で撃たれるかと心配して、
護身用に服の下には週刊少年マガジンジャンプを潜めていましたが、
効力を発揮することはありませんでした。
はい。もちろん嘘です。
当時はちょうど日本で開園間近だったユニバーサルスタジオ。
初めてのユニバ体験はまさかのアメリカでした。
日本と大きく違った点。
アトラクションの車椅子席は、一番前!
ウォーターワールドでは車椅子の方々も関係なしに思いっきり水をぶっかけられてゲラゲラ笑っていてかなりピースでした。
日本は、車椅子席は一番後ろ。
なんでやろう。絶対前にすべき。
そんな疑問が困惑した15歳。
6、オーストラリア(パース)2001年(16歳)
2週間の英語研修へ行きました。
べらぼーにいいとこ。
適度に田舎、適度に都会。
元ダンサーのおばあちゃんの家でホームステイしたので夜中まで踊りまくった日々。
ウォンバットを抱っこしましたが爆睡してる顔がぶさいくすぎて恋に落ちました。
マレーシアで経由便待ちの間に出会ったイギリス人に恋しました。
初の短期留学は色々ハートが忙しかった。
7、イギリス(London, Lake district, and Birmingham)
2002年(16歳)
前述にもあるように、マレーシアで恋したイギリス人に会いにいきました。
オーストラリアでの研修が終わってすぐに付き合い始め、私はバイトを決めて馬車馬みたいに働きました。そして英語もめっちゃくちゃ頑張りました。
私の家は、色々あって決して裕福ではなかったので16歳になったら自分のお金で海外に行くのが夢でした。
母は生活切り詰めて海外に出るという経験を若いころから私たちにさせてくれました。
ピーターラビットの聖地、Lake districtでもピクニックして湖畔のコテージに泊まりました。最高の思い出。
Londonでは、オペラ座の怪人を英語でみました。ど迫力。
Birminghamは彼のすんでる場所。2週間を共に過ごし、彼の通う音大に忍び込んだり、テコンドークラスにも参加しました。
何してるんでしょうね。
最終日が近づくと、私のために地域の人を集めてコンサートを開いてくれました。イギリス人のキャパには驚愕。
16歳の一人旅を許可してくれた母に感謝。
イギリスでは、
「一番美味しいごはんは?」と聞くと、
「中華や。」と返されました。
またも矛盾。
世の中には矛盾だらけですね⭐︎
8、アメリカ(ニューヨーク)2002年(17歳)
あの9.11から緊迫感冷めやまぬ2002年3月、イラク戦争が始まる前日にニューヨークへ飛び立ちました。
今考えたら、よう親も許したなと思います。
ニュースから流れる情報に違和感しかなかった私。
なんか、報道と真実がねじれてる・・・
そう感じたのでまた馬車馬のように働いて現地へ向かいました。
街中は緊迫し、
ピリピリと肌に突き刺さる鋭利な雰囲気。
それでも、ブロードウェイを貸し切って多くの人が「戦争反対!」のデモを繰り広げていました。
日本で報道されない瞬間を目の当たりにしたのです。
本場のブロードウェイの舞台も観に行きました。
タイムズスクエア前にある、「tkts」で50%オフでチケット購入⭐︎現金のみなのでお気をつけ⭐︎
自由の女神にもsay hiしました。
当時、オプションでつけると$50くらいのツアー代とられますが、みんなが使う公共のフェリーで散策したので無料に近かったです。
百聞は一見にしかず。
ここでのデモ参加体験が私の人生に大きな影響を与えました。
古いブログに記事を載せているのでよければどうぞ⭐︎
http://ameblo.jp/yuimocca/entry-11301965783.html
9、インドネシア(バリ)2003年18歳
「え!ジャカルタ人じゃないの?!」
早速、現地人に間違われました。
女子高生捕まえてなにゆうてんねん。
卒業旅行として小学校からの親友とバリへ。
クタという観光地ではジゴロにたくさん出会い、
全員に怒鳴り散らしました。
泊まったホテルはむこうの手違いで、王族が泊まるようなホテルを予約されていました。むこうの手違いなので料金加算なしでセレブな日々を過ごすことができました。手違い万歳。
18歳の私たちには豪華すぎる旅でしたが、現地人だと思われていたのでさほどぼられることも少なかったです。
バリに行く際は、顔の彫りを深めにしていくことをお勧めします。
10、カナダ(トロント、プリンスエドワード島、バンフ、バンクーバー)2004年19歳
とにかく、めっちゃいろんなところに行きました。9日間で9回飛行機に乗りました。プラン、めちゃくちゃ。
母と行ったんですが、溶かしバターにつけて食べるロブスターが絶品すぎて9日間中ずっとロブスターの夢をみました。食い意地がすごい。
特に気に入ったのはバンフという町で、ただただ絶景でした。
やっぱりカナダ人は「CANADA」と書いたTシャツを着ていました。愛国心素晴らしい。
赤毛のアンの大ファンな母と行ったため、プリンスエドワード島では
赤毛のアンのコスプレをさせられました。
もちろん2人で。
ドジな姉とインド顔の姉は大爆笑ののち、
これは墓まで持っていけ。誰にも見せるな。と小粋なアドバイスをしてくれました。
母はまんざらでもなかったのですこし不服そうでした。
カナダでは、ジャガイモのトラックと事故ることはとても罪深いことらしいので、芋掘ってもおかまはほらないようにしましょう。
きりのいいところで、次回へ続く!
(本心は、ゴマ豆乳鍋を食べたいから)
みんな、超個人的な見解の海外旅行のススメ、役に立ったかな?
続きはまたこんど⭐︎
ひぐちカッター!