メキシコで娼婦に就職。


Mexico yui

2007年にアメリカでダンス留学をした時。

ある週末に行ったメキシコ旅行で起こった出来事。

つい最近知ったけど、

メキシコってすっごい危ないところやったんやな。

スペイン一家に聞いても絶対行きたくないと豪語するほど。

それでは、あの若き日のおもひでをどうぞ!

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

生きた心地がしなかった週末。

 

留学においての1つのストラテジーでもあった

「メキシコ旅行」♪

 

色々下調べするも、おぞましいことばっか出てくる。

・メキシコは娼婦の街で、ワンコインでコトに及べる。

・コトの円滑化をするため、履いてるジーンズに穴をあけてスタンバイ。

・ストリートごとに娼婦のレベル分けがされている。

1st streetには美女、5th streetにはブス。的な。(顕著)

 

ていうか下調べが娼婦に関することばっか!

当時の私はパソコン持ってなかったので全て聞き込みの結果。

とにかく、危ない匂いしかしないのでぜひ行ってみることに。

 

 

陸続きではあるけど、アメリカからすると異国には変わらないこの地。

 

もちろん、
パスポートとI-20っていう、アメリカでの留学生には不可欠な書類を持参しないといけない。

 

あとは金さえあればなんとかやっていけると確信。

 

ラテンな国に胸躍らせていざ出陣。

 

バスを2時間ほど走らせて、国境をこえる直前で
中国人ガイドのおっちゃんに
パスポートとI-20の確認を強いられた。

 

私は、母の手術のため日本に一時帰国をしていたため、

I-20は新しいものを取り直していた。

 

もちろん、古い方はいらないと判断し、

 

部屋の片隅においてきた。

すると・・・

 

「このI-20…

君、メキシコには入れても、
LAに帰ってこれない確率大ネ。

私はただのツアーガイドだから

移民関係は無関係。

帰ってこれなかったら自分でなんとかしてネ。」

あら、冷たい♪

あと、カタカナの「ネ」が腹立つ。

メキシコに入るときは審査がないけど、

アメリカに再入国するときは厳しい審査がある。

 

ガイドさん曰く、

再入国可能指数激薄。

 

でも、
バスはどんどん進むし、
何が何でも私の気持ちはラテンモードやし、

 

「明日のことは明日の自分が何とかしてくれるやろ」精神で

 

「(アムロ)行きます!」

 

 

 

そして、あっさり国境を越えてやった。

 

今思うと、ようやったなって思う。

 

でも、

「今日の夕飯寿司やで〜」って言われたのに

 

やきそば出てきたらなんか違うでしょ?

 

こちとらラテンモードやのにやっぱアメリカで。

って言われたら不服!ふふふ!

 

ぺろりと国境を越えた瞬間、貧富の差が目に見えて確かで胸が痛みつつも

その雰囲気が自分の中でホームに感じられた。

 

空は犯罪的に青くて、

メキシコ人は
うさんくささを存分にかもし出しつつも、
LAにいるメキシコ人と違って
さわやかな陽気さと
金と女に対する貪欲さ120%を兼ね備えてた。

 

街を歩けば
「hola! amigo!」よう、マイフレンド!なノリ。

 

夜になれば、
ギターやドラムを片手に10000ペソの笑顔で
自分らのルーツの音楽奏でてる。

 

フレンドリー極まりない!

「1度会ったら友達で毎日会ったら兄弟」という方程式ここに有。

 

夜道にはジャンキーな奴と娼婦のオンパレード!

注射器を自分の腕にピャンピャン打ち込む次第。

 

娼婦は男性を誘い込むけど女は見て見ぬふりなので私は結構安全だった。

 

噂通り、1stから5thと奥にストリートを下るごとに

娼婦の質が落ちていく!

 

 

友達と危ない街を深夜まで歩き続け、

BARを三軒はしごした。

 

それにしても不安は襲う。

明日、ホンマにLAに帰れるんやろか?

 

入国できない可能性のが圧倒的に高い。

 

平気なふりしてても生粋のチキンハート。

全然お酒も飲まれへんのに、酒は飲むわ(3杯だけ)、

自分の親指より太い葉巻も吸ってみた。

もはやあの葉巻は象牙。

 

 

けど、
国境を越えれんってだけで、
命はある。

 

私の中で「死ぬこと以外はかすり傷」っていう精神があるから、
生きてく選択肢を現実的に考えてた。

 

1、ルームメイトに電話して、I-20を持ってきてもらう。

しかし、国をこえてるため携帯が繋がらない。

 

2、I-20をどっかのホテルに郵送してもらい、2~3日はメキシコを旅し続ける。

しかし、金もない。
国境付近はハイパー治安悪い。

 

3、強行突破。

不備あったのはUSAのせい。
「ワタシ、悪クナイ。」

の一点張りで、必殺YAKEKUSO。

 

 

4、娼婦としてこの地にとどまる。

 

何を思ったのか、あろうことかこの選択肢4が一番現実的に思えてきて、

日本にいる母に遺書(?)を書いた。

 

「ごめん、アメリカ留学が娼婦留学になってもうた。」

 

書き出しはもはやギャグ。

 

しかも、その日はいていたズボンがたまたまジーンズで

もはやここに穴を開けるだけで娼婦になれるかと思うと運命さえ感じてきた。

留学中はたいがいジーンズだったくせにそこに運命を感じてる時点で精神いかれてたんでしょうね。

 

なんなら変な闘争心さえ燃えてきて、

どうせ娼婦になるなら1stストリートに立ちたいとさえ思うようになっていた。

 

入国審査前で闘志もやしつつも、

やっぱりアメリカにも日本にも帰れるもんなら帰りたい。

ポッケに入っている日本のお守りに100ドルをへそくりして罰当たりながらも、

 

どの神様にお祈りしていいかわからないので

ジーザスジーザス言いながら
神様の困惑承知でお守り握って拝む。

アメリカに帰れますように・・・
アメリカに帰れますように・・・
アメリカに帰れますように・・・

 

自分の入国審査の番がよりによってその日の一番最後で、

 

よだれをたらしたドーベルマンと怪物みたいに太った警官の視線が鋭利に突き刺さる!

 

おそるおそるビザを手渡すと・・・・

 

 

 

 

 

 

 

「ハイ、OK」

 

 

 

びっくりするほどあっさりとした声が私の脳天をぶち破った。

 

 

ohwehfjiwehfjklshflkjshfijwehfijeshfi?!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

軽っ!!!!

 

通れた!!!

国境越えれた!!!

 

ジーザスジーザス!!

ガイドのおっちゃんは

「よく通れたね!君は僕が今まであった中で一番ラッキーな女の子や!」

 

とhugしてくれた。
お母さん、唯は生きてるよ。
娼婦になる決意をしかけた私をどうか許して。笑

 

ていうか、中国人ガイドのおっちゃんのジョークやったんかな・・

いや、でも違うっぽい。

ほんまにそのI-20のしかるべきところにハンコがなかったから。

どこからどう見ても不備・・。

 

私の硬い決心を返して!

象牙みたいな葉巻を吸って失った私のピュアな体を返して!

 

母に出そうと書いた手紙はその場で破り捨てた。
この旅で、
私は前回の何十倍もパワーアップしました。
国を挙げてのトラブルもスルーした私はもう
何も怖くないです。
日本帰ったら納豆にもチャレンジします。

(2014年現在、いまだ納豆にはチャレンジしていません。)

 

 

この話を、ドジな姉に話しました。

そして彼女は一言。

 

 

「あ〜あ、残念。

妹はメキシコで身売りで生計たててます。
って友達に言えるチャンスやったのに。」

 

 

この言葉を聞いた瞬間、

まじで生きた心地がしませんでした。

 

姉選びは慎重に⭐︎

 

かしこ


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