最近、以前にも増して外国人に間違われることが増えてきました。
いったい、何国籍に間違われているのかはわかりませんが、
とにかく繁華街へ出ると日本人に英語で話しかけられることが多々ある。
先日も、複数の新聞記者の方に
“Where are you from?”
って立て続けに2回も聞かれたときは若干度肝を抜かれました。
最近は韓国人や中国人観光客も増えた影響もあり、
繁華街では日本人を見つけることの方が難しくなってきたのは事実(そんなわけないやろ)。
電車の中でも、お年寄りに席を譲っても
“Where are you from?”
って聞かれることがある。
もちろん、
「アイム フロム 堺」
って綺麗な日本語英語で答えるけれども。(堺っ子は元気な子)
昨日も、繁華街を歩いていたら(どんだけ繁華街歩くねん)
ひっかけ橋でおじいさんに
「お、これは外国人かな?」
と声をかけられた。
新手のナンパだと思い、恥ずかしがり屋の私はそそくさと逃げて行きましたとさ。
こうなってくると、やっぱりなにか間違えられることに意味を感じずにはいられない私。
すべてのことは意味なき意味がそなわっているんやと感じ、
どうなってそうなったかわからないですが
日本語を一からちゃんと勉強することに決めました。
(その発想こそが留学生。)
ちゃんと日本を知れ〜!というお告げなのか(ジャポニカからの)…
というのも、友人の彼がオランダ人なのですが、
聞いていてうっとりするような美しい日本語を達者に使っていた。
彼は、「こういう話し方をすれば上手いと思われる技だよ」
と謙遜していたが、
その時点で日本語うますぎる。
例えば、
「明日」ではなく「翌日」
「だんだん〜ってきている」ではなく「次第に〜つつある」
とか、
なんか多すぎて思い出せないくらいその「技」たるや日本人の平均的な日本語レベルを超越していた。
確かに、少しの表現を変えるだけで日本語っていたく上品で清らかに聞こえる。
本来、それが外国人にとって魅力に感じる点なのだろう。
しかも、あろうことか私は繁華街では外国人に見えることがあるようなので(繁華街限定はなんでやねん)
そのギャップをふんだんに活かし、
美しい日本語を使えば日本人と認めてくれる日がくるかもしれない。
繁華街の住人たちが!(執着がひどい)
もう、10月とか言わへん。
霜月っていう。
もう、夕方とか言わへん。
黄昏時(たそがれどき)って言う。
年齢を聞かれたら、
「もう30やで〜くそやばい」とか言わへん。
「いたずらに齢(よわい)を重ねまして御歳30でございます」
とか言う。(逆に滑稽)
こう見えて、日本語教師の免許を取ってるからちゃんと話せなまじで学生にバカにされる。笑
いつも繁華街を歩いていると(だからどんだけ繁華街練り歩くねん)、
絶対に聞かれるのが、
「居酒屋ですか?」
…は?
「居酒屋(おさがしです)か。」の略であることは重々承知なのですがどうしても、
「いいえ、私は居酒屋ではありません。」
って答えたくなる。
こういう日本語、ちゃんとしていきたいですね。
日本語を美しく話しても、まだ外国人に間違われる事態が防げぬのなら、
これからは仏具を持ち歩いて繁華街に繰り出そうと思います。(オカルト)
お手軽な仏具がございましたらご一報くださいませ。
南無〜!