30歳というものは灌漑深いものである。
つい最近19歳だったのに、気がつけば10年も経っていて、
あと数週間で30という大台に乗る。
私は、25歳で歳をとるのをやめたので、
次の誕生日で25歳パート6が始まるのである。
こうゆうことを言い出すと、いかにもアラサーっぽい。ウケんネ。
去年は自分の中ですこし低迷した年になったように記憶している。
しかし、今年は素敵な波に乗れそうな気がする。
ここで、すこし、過去のことをどうでもいい情報を織り交ぜながら振り返っていこうと思う。
20歳〜21歳
英語とバイトにあけくれて、留学を目指していた。
おそらく、人生で一番勉強した日々。
22歳〜23歳
初めてベトナムへ日本語教師アシスタントとして派遣された。
合計2ヶ月、ハノイ丸かじりな日々。
こんなにスローライフがあったのかと度肝を抜かれ、日本に帰国してから3つ掛け持ちしていたバイトを2つやめて留学生との交流にあてる。
23歳
ダンス留学。毎日ハリウッドな驚きを目の当たりにしながら、すごいダンサーたちと毎日を過ごす。メキシコで娼婦になりかけるなど危険がいっぱいの留学を堪能。レズビアンになる一歩手前だったことは秘密。
24歳
大学を卒業して美容室の事務として働く。7店舗もあるサロンでは、「クレイジー佐々木」という異名をつけられ、「フィリピンからの刺客」と噂が広まり、デザインから日曜大工までなんでもやるガテン系事務を堪能。
入社のっけから「1年に一回は10日間海外にいく気まま野郎」というレッテルを自ずと貼り、フランスやイタリア横断にいそしむ。
「人生楽しい」が口癖な痛い女へ昇格。(現在も症状は継続)
25歳
当時付き合っていたアフリカ人の恋人から求婚され、
牛5頭を結納として差し出す
と申し出られ、窮地に追いやられる。
アフリカでは、「同情するなら牛をくれ!」が日常。(嘘八百)
のちに、
恋人が亡命。
男なんてシャボン玉だと悟る。
26歳
初めて自分の誕生日パーティーを開催。
大人数の人がきたので、のちに
「和田アキ子」というニックネームを頂戴する。(恐縮)
3.11をうけて、East Japan Re: project (東日本復興支援団体)を発起。
27歳
そろそろ国際的に活動していきたくなったので仕事をしながら日本語学校養成講座に通う。
自由すぎる社会不適合者(のちの大親友たち)と出会い、動物園みたいな学び舎で国際情勢や日本語教授法を学ぶ。
当時の私のニックネームは「キャプテン」。
現在は「ユイササキ」欧米か!
日本語学校から引き抜かれ転職。
28歳
スペイン人と結婚。
出会って1ヶ月で同棲し、2ヶ月目に結婚することを確信し、
出会って半年で私からプロポーズ。
無人島の崖っぷちで、空腹状態に追いやった後の求婚だっため難なくクリア。
孫子の兵法。
29歳
現在。9カ国からくる留学生の姉的な立場で日々お仕事。
ボランティアや活動で気がついたら、私たちの活動を見てくれている人がいて、新聞やテレビに少しずつさしてもらえるようになる。
デザインや絵もずっと続けているのでその方面でもやっていきたい。
文章書いて、しゃべって、絵描いて生計たてられたら幸せやな。
30歳
2週間後。
30歳は、いろいろバレてくる歳やと思う。
無力な自分、無能な自分、浅はかな自分、責任転嫁な自分、
脂肪がとれにくい自分、めっちゃ乙女な自分、おもしろくない自分、お肌がまがりっぱなしの自分。
マイナスなことばっかやけど、
歳を重ねることで自分というものがあらわになってくるから逆に変な取り繕いは必要ないのかも。
しかし、経験値の高さが手伝ってうまく乗り切れていくのも30歳のチャームポイントかもしれない。
32歳
予定では32歳くらいで子供うんで、自然と世界平和を愛する子に育てていく。
あと、犬ほしい。
犬と子供はいつもセット。
小さいことにこだわる性格というものはそろそろ捨てていきたい。
完璧を追い求めることなんて、月にむかって走るのと同じ。
ゴールなんてないのだ。
39歳になたときに、30代あっという間やったなって思うやろうから、
30代も「私らしかったな」って言える世代でありたい。
今年は、スペインにも帰省するので太陽いっぱいあびてスペイン人のラテンな生き方を学んでこよう。
とにかく、
「ゆいちゃん、いつも悩みなさそうwww」って年下にバカにされながらいきていこうと思う。
ポキンウナポン。
新作。